イマイチ盛り上がらないまま観光を継続
レストラン前はこんな感じで雰囲気出してくれてました。
入ったときは細い通りに面した入り口から入ったので気付かず。
さてゆっくり休んでおなかいっぱい、観光を再開します。しますが……
人おらんすぎやろ!!
これは人居なさすぎでしょう!雑貨屋もコーヒー屋もなんも開いてねえし!!
ぼちぼちは開いてるお店もありましたけどもね。
分かり易いアプローチのアラブ文字書道のお店とか。
いったん間違って駐車場の方へ出たのですがガラッガラでした。おかげさまでお店以外にもプチ博物館的なものがいくつかある筈なんですが、人の流れとか全然ない状態なのでなんとなくでブラブラしていたら、閉まっていたか気付かずスルーしたかで殆ど入りませんでした。
唯一入ったのが貨幣の博物館だったかな?
展示物はフーンお金だねえ(学がない)と言う感想でしたけれども、上に上がれたのでそこからの眺めなんかはちょっとよかったです。建物の上はこんなになってるんだ〜と言うのも分かりますし。吹き抜け&中庭はイイネ!
がしかし意外と塀が高いのでこんなふうにじゃないと外は見られない。もっとここでキャッキャウフフと買物やお茶などをする予定だったのですが、早々に切り上げてドバイ博物館へ向かいます。
途中で着実なインドの気配を感じました。
関係ないけどわたしがスリランカでノリでつくったパンジャビードレスが活躍することはあるのでしょうか。2011年時点で若い店員さんが「こう言うの流行り」とか教えてくれていっしょに選んで、なおかつ丈感とかも「これくらいが流行り」とかって決めてくれたのがすごく今となっては気になりますが。
それ以前に体型が変わって着れなくなる可能性が……つらいのでやめよう。
もうアレですかね、唐突に近所のインド人のやってるカレー屋にそれ着て乗り込むとかしか使い道がない気がしますね。
着きましたよドバイ博物館ですよ〜。
今ブログを書くにあたり歩き方先生を確認していたら「バスタキヤ地区から徒歩5分」らしいのですが、歩行者にやさしくないつくりの道路のせいか敷地の端には到達したものの入り口を迷ったせいか或いは暑さのせいかもう少し時間がかかった気がしました。
外の古い城壁はなかなか見ごたえがありました。これが昔のドバイの街をぐるっと囲んでいたそうで、それからすると随分大きくなりましたね。
説明を見るとこーらるすとーんなども使っていると言うことで……珊瑚?
入場料は3AEDとなかなかお財布にやさしい博物館です。
中庭には古い住居や船などを再現してありました。
現役でこう言う家なんかが残っているところに行ってみたくなります。
空はとてもきれいです。しかし暑い。
暑いので中に入りました。冷房が効いていて極楽です。
展示物は古い商店や高貴そうなお宅の内装の再現や、古い出土品などでしたが出土品などは殆どレプリカだったかと思います。しかし博物館に現物を展示せずいったいどこに現物があるのでしょうか。そっちが見たい。
実は入ってすぐのところに「パノラマスクリーンで見せるドバイの歩み」みたいな(今勝手につけた名前です)映像展示があったのですが、それがいちばん良かったです。ドバイで油田が見つかったのが1966年のことなので、1950・1960年代のドバイと言うのはのどかな漁村だったわけで、そこからの発展を映像で分かりやすくまとめてくれているのですが、数分の映像にそれが収まっているスピード感と実際の経済成長のスピード感と言うのがうまい具合にリンクしていてなんだか面白かったのです。
1960年と言うと僅か60年近く前なわけで、今現役で人生をバリバリ謳歌していらっしゃる70-80代の方ならその成長をすべて体感してきているのです。それくらいのスピードでこれだけ環境が変わったと言うのは、日本の戦後〜高度経済成長なんかメじゃないくらいの変化だったと思うので。
途中で大きな船の構造が分かるよ!みたいな展示もありました。
謎ライティングですごく見づらい。
ブラックライトみたいなやつ……。なんでやねん。
涼しそうだから?外が暑いから?なんかカッコイイから?博物館のアプローチとしては間違ってると思います。
さっきゴハン食べたとこなのにもうしんどくなってきましたが、ここは小さいお土産屋さんはあったものの、出口にコーヒーの自動販売機があるのみでカフェなどはありませんでした。まあ個人で来てる人少なそうだったからカフェがあっても儲からんのかもしれん。外には観光バスがたくさん停まっていました。
中国系の団体だったらしれっと混ざれるんじゃないかと思いました。
行きに撮った城壁の写真がイマイチだったのでもうすこし引きで。
こう言った感じで物見塔的なものもあり防衛の役割などもあったようです。
(オカンが写ってる写真しかなかった。)
この後はオールドスークを見てアブラで対岸に戻ります〜。